【出産レポ@札幌マタニティ・ウィメンズホスピタル】休日破水‥和痛予約叶わず通常分娩

札幌マタニティ・ウィメンズホスピタルの特別室 maternity

日付変わって入院2日め突入

0:00 LDRへ移動

LDRまで歩けるか聞かれ、もう歩けないと答える。

「あらそんなに?内診してみましょう!」

ちなみに内診は痛いし気持ち悪いしでとても嫌。仕方ないけど嫌。合計8回くらいした気する。

「おお子宮口8cm!素晴らしい進みですね~!」と言われるも全く喜べず。

いや今思えば順調なお産でほんとうにありがたいって思うんですよ。

でもこのときは、ここまで進んでもまだ腹くくれてなくて、無痛分娩じゃないと無理だよ~って思ってた。

「2~3時までに来てくれれば間に合うから」と連絡していた旦那さんに「やっぱり今来て」と連絡した。

悠長なこと言ってたら産まれちゃうかもと思った。

1:00 旦那さん到着

「かなちゃーん、来たよー(心配控えめ笑顔)」と入ってきたのは認識したが、すでに返事できる状態にあらず。

ふーーーーふーーーーと深い呼吸を繰り返していて、というかむしろそれ以外のことはできなかった。

「返事しなくていいからね、もしなにかできることが出たときは言ってね」と言われて返事はできないながらにうなずく。

2:00 母も到着

旦那さんは急いでタクシーを呼んだので、自家用車で来た母と少しタイムラグ。

母は色々やってくれようとするのだが、いかんせん何もされたくない・触られたくない私の癇に障ってしまい、八つ当たり要員にしてしまった、、反省。

これも今思うと、八つ当たりできるってのは最大級の甘え。いてくれて助かった。

子宮口は9cmに。

3:00~6:00 いきみ逃し

ここが一番きつかったかも。記憶混濁レベルに痛い。

いきみ逃しって何?と思っていたが、子宮口が全開する前にいきんでしまうと色々裂けてしまったりするので、いきんではいけないということだった。

「いきみたい感覚ありますか?」と聞かれても最初はわからなかったが、陣痛がひどくなってくると強制的にわかる。

メリメリと骨から押される。

ここで噂のテニスボールの登場だったが、テニスボールを使うと弱く感じたので拳で直接お尻を押してもらった。

いきみ逃しの時間が長すぎて腕力が売りの旦那さんの手も震え、力の強い助産師さんと交代で押してもらう。

押してもらわないと内側から骨盤も尾骨も砕かれそうで、「離さないで!」と叫んだ。

か弱い助産師さんに押されても全然足りないという感覚で、旦那さん大活躍ポイント。

長時間強い力で押していたので、産後お尻の上側に痺れがしばらく残ったほどだった。

6:00 子宮口全開(10cm)

やっ、、、と子宮口全開。

子宮口9cmからが長すぎた。

「もういきんでいいですよ、なるべく長いいきみが必要です。」と言われる。

いきみが短いと、出かけてた赤ちゃんの頭が戻ってっちゃうのだ。

いきんでOKが出た後なのにどういうわけか陣痛が一時収まってしまい、一瞬旦那さんと母は座りながら寝ていた。

というか驚くことに私も陣痛の合間合間で寝ていた。

前日4時の破水から24時間以上寝ておらず、前日の夕食も痛みで食べれておらずで体力が残っていなかった。

7:00 やっと体制スタンバイへ

苦戦しながらも陣痛再開し、やっとスタンバイ体制に。

陣痛が痛すぎて吐きそうになるが何も食べていないので吐くものがない。

助産師さんの指示で何度かいきむもいきみ足りず赤ちゃんの頭が戻ってしまうのを繰り返す。

陣痛と陣痛の合間で気を失い、陣痛で起こされる。

「ちなみに会陰切開なしを希望してますけど、切開すればすぐ出てくると思うけど‥どうします?」と言われるも今聞かれましても状態の判断力ゼロ。

「まぁあと1、2回で出ると思うのでこのままいきましょう!」となる。

7:58 ベビ爆誕

もう無理!とバチキレしながら最後だと思って何度かいきむ。

旦那さんも「○○くん、もういいから出ておいで!」と赤ちゃんに向かって叫ぶ。

「いたたたたた」と言ったら赤ちゃんが出ていた。肩が引っかかって出るときにも痛みがあった。

すぐに泣いてくれてホッとした。

さっそく抱っこできたときはもう精根尽き果てて呆然。

胎脂でベッタベタなんだなぁなんて思ったり。でもとてつもなくうれしかった。元気であればなんでもよかった。

落ち着いたと思ったのも束の間。助産師さんの様子がおかしい。

「胎盤が出てこないんですよね‥」と言って先生を呼びに行く。

胎盤用手剥離手術

出産後数十分経過し、点滴で促しても胎盤が出てこない。引っ張ってもくっついているとのことだった。

おい胎盤、最後の最後までいい加減にしろよと思う。

先生が無理やり手の力で剥がそうとしているのに気づき、やめて!と叫ぶ。

友人が同じ状況になったときの話を聞いていたのだ。

医師が「ちょっと痛いことするよ」と言って手を突っ込んでベリッと胎盤を無理やり剥がしたのが出産そのものよりも痛かったと言っていた。

なにそれどんだけだよ‥と印象に残っていた。

なので全力拒否。

赤ちゃんが出て糸も切れており、もうそれ以上痛いことに耐えられるメンタルがなかった。

やめてと叫んだことで無理やり剥がすのは中断され、麻酔科医を呼んで麻酔下で手術をすることになった。

麻酔と聞いて、もう痛くないんだ‥と心底安心した。

とはいえオペなので急遽オペ室に移動することとなりバタバタ。

ストレッチャーに移されてカラカラと運ばれる。

ていうか休日だけど麻酔科医いるじゃん、ここで麻酔なら最初から麻酔で産みたかった‥とつくづく思ったよね。

寝てなかった+麻酔の影響か、全身麻酔じゃないのにオペ中のことを覚えていない。

気づいたら終わっていた。

イレギュラーなオペがあったせいで普通の病室に行けず、リカバリールームという部屋で1晩過ごすことに。

あと、尿管通されたのも麻酔によるオペのマイナスポイントだった。

オペ後に胎盤を見たいか聞かれた。

バースプランには入れてなかったのだけど、前置胎盤に始まりここまで悩まされたんだから顔拝んでやっぞ!と思って見せてもらうことにした。

でっかいレバーのような塊で、内側にはへその緒がついていた。

実際見たら、この胎盤が赤ちゃんと私を最後まで繋いでくれたから無事に産まれたんだな、とも思えた。

翌日から母子同室へ

オペ後はベッド上安静で全く動けなかったけれど、赤ちゃんは連れてきてくれて会うことができたし、疲れてたからとてもよく眠れた。

出産直後はアドレナリンが出て眠いのに眠れないという話も聞いていたけど、全然寝れた。

翌朝から立って歩くこともでき、無事に管も外れて希望の個室へ移動できた。

妊娠、流産、またすぐ妊娠、出血×数えられない、前置胎盤~低置胎盤の切迫入院、、と盛りだくさんの妊婦生活だったけど、やっと終わった。

終わりがあることだからと言い聞かせてきた日々だった。

分娩台に上がってからでさえなぜ無痛じゃないのか~~と運命をうらめしく思ってはいたけれど、一方で赤ちゃんが今日という日を選んで産まれてきたがってるということか、という解釈でメンタル保ったよ。

赤ちゃんに会えたら痛みとか全部忘れちゃうよ!なんて聞くけど、忘れてはいないけど、すべてを忘れさせるほどの威力があるというのはホントそう。

そこに存在してるだけで可愛いと言ったら、それが愛だねと母に相槌打たれた。

でも二度と普通分娩はゴメンだわ。笑

以上、産後の札幌マタニティでの入院生活については次回書きたいと思います。

つづく

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